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Time Tunnel

1989年アメリカ・ソロツーリング日記前書き

Time Tunnelと題したこのブログは、2019年で渡米30年を迎えるにあたり、私が渡米しようと思った切っ掛け~人生初の海外単身ツーリングの際に記した日記を、当時20代前半だった自分がどう感じていたのか、極力校正なしで写真も含めて掲載しようと思います。

パソコンやナビ、デジカメ、ビデオ、スマホなど無かった時代で、当時の物価や街並みをどこまでお伝え出来るか分かりませんが、昭和最後の年(平成元年)のアメリカの雰囲気を感じて頂ければ幸いです。

当時アメリカツーリングの経験を持つ先輩に、装備は持つなら必要と思われるもの全て持参するか、何も持たないか決めた方が良いというアドバイスをもらいました。
必要な物全てを考えたとき、そこそこの工具から非常食、その他諸々考えて気が遠くなり、何とかなるだろうと思い何も持たないという判断をしたのです。

という感じでスタートした一人旅は、大雑把な紙の地図だけでの旅行でしたが、日々大小さまざまな出来事(トラブル)もあって、今思い出しても刺激的です。
同じ環境でもう一回行けたとしても、行きたくありませんけどね…

気が向いたときに掲載していきますので、気が向いたときに覗きに来てください。 笑

では、旅の始まりです…

1989年アメリカ・ソロツーリング本編 4/11(火)

2019/5/5

4/11(火) ロサンゼルス 気温20℃

Hotel $48+tax 7%
Map $7.40
McDonald $2.64
Yoshinoya $2.40

 

日記より

いよいよ出発の日が来てしまった。

 

4:00amに友達が家まで迎えに来てくれて、バイト先の友達と合流後、5:30amに出発。
成田空港まで送ってもらった。

 

旅の安全祈願で成田山にお参りして、おみくじで”大吉”引き、まずまずのスタート。

 

空港でチェックインをしたけど、全て手荷物。
ただ、多量のカメラのフィルムが入っていたので、X線検査でダメになる可能性があるという情報もあって不安だな…

 

無事出国手続きを済ませて、33番ゲートに向かう。
搭乗後空港ビルの屋上に、送ってくれた友達を発見!

 

初の海外旅行で不安なのに、とうとう一人になってしまった。

 

2:15pm離陸
2回の機内食等、ドキドキしながら7:40am ロサンゼルス空港に到着。

 

入国審査で色々聞かれたけど、思いのほかスムーズに答えられて無事入国。
とここまでで、今空港の到着ロビーでこれを書いている。

 

一人であまり人気のない所にいるけど、寂しいな…(もう帰りたくなってきた)

 

機内で隣り合わせた、医大生と記念写真。(右が私)

その後、後便で到着した友達二人と無事合流できて、一安心。

 

レンタカーを借りて市内観光とバイク探し。
友達が、早速GPZ1100B2を買ったけど、調子悪いな。
日本に送るので、帰ったら整備するらしい。

 

自分のバイクが見つからなかったのと、先輩からの事前情報よりかなり高目で焦る。

 

カンカン照りの天気を期待していたのに、終日曇っていて午前中は16℃しかない。
昨日は38℃あったとか…
砂漠気候だから、日が陰ると一気に寒くなるんだな。
この服装じゃ無理っぽいと、また不安になる。

 

晩飯は、ホテル近くの吉野家でBeef Bowl(牛丼)を食べたけど、普通。
その後スーパーで買い物をしたけど、広さにびっくりした。
品数が凄い。

 

今日は初日なので、友達が取っていたホテルに泊まることにしたけど、$48は高いな…
明日はもっと安い所にしないとダメだな。

 

LAに来ても、一日友達と行動したから、なんだか日本にいるのと変わらない気がする。
でも、なんとなくカルチャーショックを受けているのかな? なんか疲れる。

 

1:40amで寝たいけど、友達がLottoを買いに行くと言うから、コンビニまで行ったついでにビールを買ってきた。
これ飲んで寝よう。

 

その後の事は、明日考えればいいや…

 

あ~~~ねむい

今振り返って

まず、当時の細さにびっくりするな。
短パンも短いし気持ち悪い 笑 178cm 64kgでした。

 

LAに行くことを決めたときは完全に一人だったのに、後で友達が同じ日に行くことを知って、レンタカーやホテルを予約していると言うので、
バイクを買うまで同行させてもらう事になったのです。

 

この友人は、当時ヨシムラに勤めていて、レース関係の知り合い。
色々助けてくれたのですが…

 

今でも鮮明に覚えている、空港での不安な気持ちは嫌だったな~
旅を楽しむというより、なんでこんな事やったかなという気持ちが強かったですよ。
日本に連絡したくても、公衆電話から交換手を通して、高額な料金を支払わなければならず、更に孤独感を高めてくれます。

 

今じゃ、スマホやSNSが無いと生活できないなんて思うけど、何とかやってきたもんな。
便利な方にはすぐ慣れるけど、もう戻れない気がする。 笑

 

この時泊まったホテルは、Gardenaという町にあるPacific Square Innだったかな?
今でも日系のスーパーなどが入っている、Pacific Squareというモールの裏にある所です。

 

とにかく早くバイクを見つけて一人になりたかったのと、今後の漠然とした不安で、ちっとも楽しくなかったのが本音の初日でした。

 

アルバムを見て思ったのが、一日に数枚しか写真を撮っていないという事。
当時はフィルムだったので、今の様に撮りまくって後で編集なんて出来ませんでしたからね。

逆に新鮮でもありますが。 笑

 

 

この時履いていたNIKEの靴は、30年経った今でも捨てられずにとってあります。

ソールは経年劣化で石みたいにカチカチですが、原形を留めています。

1989年アメリカ・ソロツーリング日記(準備編 その2)

2019/4/25

アメリカ・ソロツーリング日記その2です。

 

先ずは、行ってからバイクを買わなくてはいけません。

 

記憶にないのですが、当時ローライダーを乗っていた私は、ハーレー雑誌でも買っていたのでしょうか?
カスタムショップや中古屋など、雑誌から書き写した簡単な地図と住所がメモってあります。

 

今見ると、San Francisco以外、ほぼLAから1時間以内で行かれる場所だという事が分かります。
中には、今の家から数キロの所もあって、見に行ったら”ブティック”になっていて、近所のおばちゃんご用達の店になっていたり、
引っ越したりと、ほぼ無くなっていました。

 

市外局番も、今はいくつかに細分化されていますが、当時は”213”で現在のロサンゼルス中心部の局番だったり色々気づきます。

中古車を買うという一大イベントも、この後現実に突き当たります。

 

5年前(1984年)にアメリカ・ツーリングをした先輩からの情報で、KawasakiのZIが$1000しないで売っていたとか、
ハーレーでも機種を選ばなければ激安で帰ると言うのです。

 

これらのショップ情報を元に、中古車なんて選び放題だな…

 

そんなに物価が安いなら、必要な物は行ってから買えばいいやという事で、初の海外旅行にも関わらず、バックパックに下着3組と最低限の装備、
ヘルメットは手持ちという身軽さ。

 

その頃流行っていた、地球の歩き方なんて買ったりしながら夢を膨らませ、ウキウキしながら出発日を迎えるのでした.

 

 

ところが現実はそれほど甘くありません…

次回は、いよいよ本編に入ります。

1989年アメリカ・ソロツーリング日記(準備編 その1)

2019/2/2

重い腰を上げて、ようやく1989年の単独アメリカツーリング日記の公開を始めたいと思います。

掲載に先立ち、当時の日記をチラ見しましたが、当時の物価などにびっくりした事もありました。
現在の様に、デジカメやビデオ等無い、アナログな感じですが、30年前はこんなだったという雰囲気が伝われば幸いです。

 

フォーマットなども含め、どの様に掲載したら良いか決めかねていますが、多分その日の気分によって変化するんでしょうね。
既に日記をスキャンするより、デジカメで撮影した物の方が全然良いので、写真を乗せることにしました。

 

 

旅行記録は、こんな感じで保管されています。

バインダーは、1984~1988年まで参戦していた、MJF地方選手権の記録を取っていたものですが、中身を全て入れ替えて持って行ったので、レース関係のステッカーが貼ってあります。
レースの記録は、何処かに大切に保管したはずなのですが、当然見つからなくなっています。

 

昨年40周年を迎えた鈴鹿8耐も、当時はまだ6回目だったんですね…
4時間耐久にエントリーしましたが、予選落ち。
当時は、バイクブームだった事もあって、4耐のエントリー台数は500台だったと記憶しています。

 

予選も15組とかで、1組当たり15分だったかな?
1周目ウォームアップ
2周目タイムアタック
3周目クールダウンラップ

そんな無茶な…

 

 

 

こんな感じじゃ1回のブログが長くなってしまうので、準備編も何回かに分けないとだめだな…

 

というわけで、タイトルを(準備編 その1)にします。

アメリカ大使館でビザ申請

当時、既に3か月の渡航であればビザが不要になっていたのですが(ESTA)、一世一代の旅行なのでお金の続く限り長居をしようという貧乏根性がでて、どうしても半年行きたかった私は、下の日程表を作ってアメリカ大使館に乗り込みます。

日本語ペラペラの白人の担当官と窓越しに話した結果、3か月で行ってくればと言われて、半年ビザは却下!

 

そこで、この日程表を見せて、どうしても半年かかると力説すると、暫く待たされましたが、なんと6か月のビザが発給されたのです。
距離は、紙の地図に記載されていたマイル数を、わざわざキロに換算していますが、バイクのメーターもマイル表示なので、意味なかったな… 笑

 

パソコンなんか無い時代なので、レタリングシールって言ったかな?(転写シール)
一文字づつ貼り付けて作ったけど、努力が実ったな… 笑

レタリングシールって、こんなやつです。

今見直すと、ミススペルはあるし、そもそもゴールはSan DiegoではなくLAのはず。

30年経っても、この頃のままなんだな~と思いながら、今回はここまで…

 

 

次回は、日記本文に入れるかな?

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