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Time Tunnel

1989年アメリカ・ソロツーリング日記前書き

Time Tunnelと題したこのブログは、2019年で渡米30年を迎えるにあたり、私が渡米しようと思った切っ掛け~人生初の海外単身ツーリングの際に記した日記を、当時20代前半だった自分がどう感じていたのか、極力校正なしで写真も含めて掲載しようと思います。

パソコンやナビ、デジカメ、ビデオ、スマホなど無かった時代で、当時の物価や街並みをどこまでお伝え出来るか分かりませんが、昭和最後の年(平成元年)のアメリカの雰囲気を感じて頂ければ幸いです。

当時アメリカツーリングの経験を持つ先輩に、装備は持つなら必要と思われるもの全て持参するか、何も持たないか決めた方が良いというアドバイスをもらいました。
必要な物全てを考えたとき、そこそこの工具から非常食、その他諸々考えて気が遠くなり、何とかなるだろうと思い何も持たないという判断をしたのです。

という感じでスタートした一人旅は、大雑把な紙の地図だけでの旅行でしたが、日々大小さまざまな出来事(トラブル)もあって、今思い出しても刺激的です。
同じ環境でもう一回行けたとしても、行きたくありませんけどね…

気が向いたときに掲載していきますので、気が向いたときに覗きに来てください。 笑

では、旅の始まりです…

1989年アメリカ・ソロツーリング日記(準備編 その1)

2019/2/2

重い腰を上げて、ようやく1989年の単独アメリカツーリング日記の公開を始めたいと思います。

掲載に先立ち、当時の日記をチラ見しましたが、当時の物価などにびっくりした事もありました。
現在の様に、デジカメやビデオ等無い、アナログな感じですが、30年前はこんなだったという雰囲気が伝われば幸いです。

 

フォーマットなども含め、どの様に掲載したら良いか決めかねていますが、多分その日の気分によって変化するんでしょうね。
既に日記をスキャンするより、デジカメで撮影した物の方が全然良いので、写真を乗せることにしました。

 

 

旅行記録は、こんな感じで保管されています。

バインダーは、1984~1988年まで参戦していた、MJF地方選手権の記録を取っていたものですが、中身を全て入れ替えて持って行ったので、レース関係のステッカーが貼ってあります。
レースの記録は、何処かに大切に保管したはずなのですが、当然見つからなくなっています。

 

昨年40周年を迎えた鈴鹿8耐も、当時はまだ6回目だったんですね…
4時間耐久にエントリーしましたが、予選落ち。
当時は、バイクブームだった事もあって、4耐のエントリー台数は500台だったと記憶しています。

 

予選も15組とかで、1組当たり15分だったかな?
1周目ウォームアップ
2周目タイムアタック
3周目クールダウンラップ

そんな無茶な…

 

 

 

こんな感じじゃ1回のブログが長くなってしまうので、準備編も何回かに分けないとだめだな…

 

というわけで、タイトルを(準備編 その1)にします。

アメリカ大使館でビザ申請

当時、既に3か月の渡航であればビザが不要になっていたのですが(ESTA)、一世一代の旅行なのでお金の続く限り長居をしようという貧乏根性がでて、どうしても半年行きたかった私は、下の日程表を作ってアメリカ大使館に乗り込みます。

日本語ペラペラの白人の担当官と窓越しに話した結果、3か月で行ってくればと言われて、半年ビザは却下!

 

そこで、この日程表を見せて、どうしても半年かかると力説すると、暫く待たされましたが、なんと6か月のビザが発給されたのです。
距離は、紙の地図に記載されていたマイル数を、わざわざキロに換算していますが、バイクのメーターもマイル表示なので、意味なかったな… 笑

 

パソコンなんか無い時代なので、レタリングシールって言ったかな?(転写シール)
一文字づつ貼り付けて作ったけど、努力が実ったな… 笑

レタリングシールって、こんなやつです。

今見直すと、ミススペルはあるし、そもそもゴールはSan DiegoではなくLAのはず。

30年経っても、この頃のままなんだな~と思いながら、今回はここまで…

 

 

次回は、日記本文に入れるかな?

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